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高原の夏

 志賀高原は道路が張り巡らされていて、とても手軽に標高の高い所まで行ける場所です。昔、スキー最盛期の頃はそうした事も全く考えもせず、夜行バスで宿まで運ばれ、それこそ山肌いっぱい縦横に配置されているゴンドラやリフトを利用しゲレンデを滑り降りていました。

 山を歩くようになり自然を人間の都合で利用し壊している現場を見るにつけ、若いころに何の疑問も持たずに遊んでいた事が実はどういう事なのか、今頃ようやく気がつくことになっています。そして皮肉なことに、そうした道路やリフトなどの人工物、温泉の湧く宿などによって体力が衰えても尚、山を楽しめる場所としてこうした場所は貴重になっていくと思います。

 そもそも登山という行為自体が自然に対して圧力になっている訳ですが、人間の生活は自然を利用せざるを得なく、便利さはその自然を壊す行為に他ならないと理解します。