雨つづきで登山というか、ハイキングそしてスケッチにも出られない日がつづく九月でしたが、知り合いの大工さんの仕事現場を見る機会に恵まれました。
ここでは丹沢などの植林、つまり神奈川県産の木材を使っていて、その端材を利用した細工をしているところを撮影させてもらったのです。
この時は、階段に使ったヒノキの残りでベンチを制作していました。釘を使わず、木の凹凸を組んで仕上げる、手間のかかるやり方です。若い大工さんですが、確かな腕で緻密な作業をこなしていました。
ここに写っているのは「毛引き」という道具で、出っ張った刃で板の縁と平行に薄い傷(線)を付ける事ができるものです。ここでは、ベンチの台の部分と足の部分の凹凸を組ませる為に測って印を付けているわけですが、素人には珍しい限りのこの道具。今回、2019年ミニカレンダーの撮影にも“協力”してもらいました。
使い込んだ鉋(かんな)と一緒に毛引きも配置しての撮影。いつもは自分の万年筆や山で拾ったどんぐりなどをアレンジしていましたが、今回のカレンダー撮影では、珍しい大工道具とのショットです。
こうした職人さんの仕事ぶりを見るにつけ、私はいつもある一つの話を思い出します。それは(殆ど唯一と言っていい)好きな小説家の吉村 昭のエッセー『わたしの流儀』のなかの「職人」に記されたものです。長くなりますが、ご興味のある方は下記の抜粋をお読みください。
・・・現在改築する家の工法は外国で評価の高い方法によるものが多い由だが、設計士の強い主張に従って基本的に日本式の従来の工法によることに決定した。
地元で信用されている六十八歳の大工の棟梁に依頼し、鳶の仕事も地元の職人が手がけることになった。
古い家がこわされ、基礎が打たれた。私は毎日三、四回はそれを見に行った。
「先生、そんなに見にきちゃ、小説書けないんじゃないの」と、かれらは冷やかしながらも、私が見にくるのが嬉しいようだった。
やがて棟上げの日がやってきた。私は終日それを見守っていた。刻みの入った材と材が、寸分たがわず音を立てて組み合わされる。
私は、驚嘆の連続であった。なんという優れた頭脳であろう、と思った。一心同体であるかのように手順がよく、次々に家の骨組みが形をととのえてゆく。職人というものの素晴らしさに、私は言葉もなく立ちつくしていた。
・・・・私は、その家を見るたびに、今後二度と会わぬかも知れぬ職人たちに深い畏敬の念をいだく。
吉村 昭『わたしの流儀』所収「職人」より