この日はY 夫妻の山歩きに声をかけて頂き出かけました。今日のコースはご一緒するHさんが計画。生藤山(しょうとうさん)南部の、行政区では神奈川県藤野町の最北端部に当たるところを歩きました。
国土地理院の地形図にも破線があったりなかったりのところですが、里に村を抱えている低山ではたいてい地元の人たちの生活道や仕事道があります。
歩き出しは中央本線・上野原駅からタクシーで「上岩下」と云うバス停まで入り、そこから浄禅寺の脇を通り蚕影山(こかげやま)に向かいます。地図には記載のない山ですが、昔はどの村も養蚕が盛んだったことで、こうした蚕影神社を祀る所はわりとあちらこちらにあります。実際、この境川の集落を見下ろす小山はとても手入れがされていて、上手に切られたジグザグの急登にはサクラの木が植えられ、さぞかし春の頃には美しい桜山になるのだろうと思われました。そして山頂には立派な社があり、日当たりのよい所で一休憩。そこからは少々おぼつかない道を拾いながらもう一つ先の稲荷山(557m)に向かいました。
山頂標識もなにもないピークにて昼休憩後、再び適当に道を拾いながら途中、生藤山に向かう廃道に近い道に出会ったり、尾根道を外して集落への道に下りかけたりしてようやく倉子峠に着きました。尾根上では当日、南西の強風にさらされていましたが、峠に着く頃には遮られ一心地です。
そこには多くの馬頭観音や庚申塔、そして芭蕉の句碑などがあり、小さな祠には(地元の林業の方でしょうか)酒と米が供えてありました。今でもそうして人の生活が関わる峠として存在していることがわかります。
「春なれや 名もなき山の 朝霞」 はせを
峠からは舗装された道を沢井川沿いのバス停に向かい歩いていきましたが、すぐに「橋詰」という地区に入ります。驚くことにそんな奥まった所に、一・二軒の家が山肌に張り付くようにあります。
山歩きをしていなければ知らなかったであろう事は多くありますが、その一つにこうした不便至極な山奥にも人の生活がある、その事です。「どんな所でも人は生きられる」と一言で言ってしまえばそれまでですが、実際都会に暮らしているだけなら、こうした“世界”があることすら全く知らずにいたはずです。なんで生計を立てているのか…色々不思議な思いにとらわれますが、それでも急な斜面にわずかでも畑を耕し、開墾した所には今でもお茶畑が手入れされた姿であります。
そして暫くするとその人家の住人であろうタオルを上手いこと頭に被ったおばあさんがこちらに歩いて来ました。カクシャクとした雰囲気で、そこに生きることの“誇り”すら感じられる姿です。しかしいみじくもHさんが「あそこに住まう最後の人」と語ったように、現実はもう後を継いで暮らすひとは皆無でしょう。昭和から平成、こうした里山に近いところを歩いていると、時代が移り置き去られていく中途情景に出会うようなことがあります。まさにこの日の山歩きでは、そうした一つの村の片隅をかすめるように歩いたわけで、ようやく着いた「鎌沢入口」は初心者の頃、一人笹尾根を歩き終えてたどり着いた懐かしいバス停でした。当時の私はまだ、こうした山村を味わいながら歩いていなかったなーと振り返るのでした。