『最古の石器とハンドアックスーデザインの始まり』(於:東京大学総合研究博物館)という展示に行きました。この発掘調査そのものに友人の夫が関わっているという事で、声をかけてもらったのです。贅沢なことに会場では、その研究調査の中心的な人物であるS氏じきじきの説明付きでの見学です。
渋い展示であるにも拘らず会場にはかなりの来館者が居ましたが、たまたま居合わせたその中のお一人、年配の女性がS氏の解説に遠巻きに遠慮しながらも耳を傾けていました。「どうぞご一緒に…」とちょっと声をかけると喜んで熱心に聞いてらっしゃいましたが、後で言葉を交わすと「朝のラジオを聞いて来ました」とのこと。私も聞いていたあの放送だな…と思っていると、「以前2万5000年くらい前の日本の石器を見に行ったことがありますが、それとは桁違いに古いものが展示されていると聞いて、一体どんなものなのか大変興味を持って来ました」と話されました。その方にとって専門家の解説は、私たち以上に印象的に心に入っていったことでしょう。しかしご丁寧なお礼を私に仰って「いえいえ・・」とかなり困ったことでありました。
(写真は143〜144万年前の石英で造られたハンドアックスやピックなど)
日々の事柄で精一杯な生活のなかで、会場の世界はまさに100万年や250万年と云う途方もない時間軸の彼方のもの(ホンモノ)が目の前に在り、しかもその道具を作り使い始めた‘猿人’から現在にもつながる糸が歴然と提示されている事に「今の私たちは一体何モノなのだろう?」と云う素朴な感覚が湧き上がりました。
ちょうど読んでいた本が水越 武著『最後の辺境ー極北の森林、アフリカの氷河』(中央公論新社)で、そこにあるカラーの圧倒的な原始の自然そのものと言った写真を思い浮かべ、数百万年前の‘祖先’たちがこのハンドアックスを使って動物の毛皮を剥ぎ取ったり肉を裂いたりしている姿をそこに重ね合わせていました。そうした辺境の地に生きる野生の生き物たちと同様の、犯してはならない神聖さをも秘めたような世界が数百年前には展開されていたはずです。それは無駄の一切ない、地球という生命体のなかで命そのものを生きていたモノの姿です。しかもその祖先たちが作り出した石器はすでに、ある一定の形(対称性やより薄く・軽く・鋭利に)を追求し、次第に道具以前の工芸的?芸術的?な要素も現れてくるのです。果たして「より便利に〜」とか経済至上主義的に人工知能の進化などに突き進む現在とどちらが美しいのか? 考えさせられる事もある石器たちでありました。