山室眞二さんは、私も関わっている白山書房の季刊誌『山の本』に2003年から三年間、巻頭カラーでの画文ページに連載を掲載されていました。じゃがいもの版画とは思えないような繊細な表現と、ちょっとファンタジーのある愉しい文章が毎回楽しみでした。
すっかりその連載で魅了され、かつて渋谷にあった「ギャラリー百号」での個展にも足を運び、そこで初めてオリジナルを目にしました。以来、十五年以上の歳月がたっていますが、今回の大々的な山室さんの版画展を会期が26日までと迫るなか、ようやく見に行くことができました。
場所は南八ヶ岳、主峰赤岳などの玄関口、美濃戸の手前にある「八ヶ岳美術館」です。車でしか行けないちょっと不便な場所ですが、当日は半日の山散歩に掛けて早朝、自宅を出発しました。
山室眞二さんは『じゃがいもデ版画ーわたしの薯版画技法ー』(求龍堂)の「はじめに」のなかで「いも版は版材が生もののため、版画の特徴とする『同じものを複数作る』ことには限界があり、木版や銅版画のように複雑な彫りや刷りができません」と語り「版画としては極めて不適切な版材」とも仰っています。
それなのに何故このじゃがいもと云う素材にこうして“固執”するのか? それは「材料や道具の手軽さに加え、技法上の面白さ、さらには刷り上がった画(え)に、とてもしっとりとした柔らかさや温かさが感じられ」るからと説明されています。まさにここにじゃがいも版の魅力のすべてが簡潔に語られています。
そして描く世界がまた、身近な自然を丁寧に見つめ、そこから生まれる“小さな物語”を細やかな感覚で捉えたところになんとも言えぬ魅力があります。画(え)の柔らかさ、そして温かさ、心落ち着く美しい色合い、それらが相まって切手大の小さな画面ながら不思議な広がりをもって見る者を惹き込みます。ずっとこの版画を見つめていたい……そう感じる時間です。
展示には版画の作品のほか、山室さんが勤めの後に主宰されている「シンジュサン工房」のお仕事でもある、一冊一冊手作りの本も並んでいます。ご自宅に印刷機も用意し、一個一個の活字を拾って文章を作り…と云う、まさに一からの手作り本、この世に一冊だけの本も展示されていました。
大量生産・大量消費、経済最優先などが席巻する現代社会に於いて、その真逆を行く最初から最後まで細部にわたる丁寧な手作業の仕事。それは単なる個人的な趣味嗜好を越え、今の世の中で最も大切にし、やめずにし続けなければいけない静かな『Protest』にも感じるのは私一人でしょうか。(当日、館内はフラッシュは禁止でしたが、撮影は自由でした)