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フォトジャーナリスト 長倉洋海

昔、「フォトジャーナリストの眼」(岩波新書92.4.20)という本を読んで以来、この長倉洋海(ながくら・ひろみ)という写真家の作品は関心を持っていました。

 

東京都写真美術館で5月14日まで「長倉洋海の眼」ー地を這い、未来へ駈けるーが開催されているのを先日知人から聞いていました。そしてこの間の週末、NHKラジオの夕方番組『地球ラジオ』にご本人が生出演しているのを聞き、これは是非早めに行かなくては!と思ったのです。

 

世界各地に出向き、身の危険を伴うなかで撮影を続けてきたにも拘らず、当日のラジオでも肩に全く力の入っていない自然体での語り口に益々好感を抱きました。

展示会場は地下一階、入り口のスペースでは一定の条件のもとで、撮影許可されていました。商業利用でなく、個人がこうして利用するならOKということで数枚撮らせてもらいました。

 

1980年に南部アフリカのローデシア(現ジンバブエ)にて白人支配の「最後の瞬間」を捉え、フォトジャーナリストとして幸運なスタートを切った長倉でした。その後しばらく停滞時期がつづくなか、82年のパレスチナ難民虐殺の現場では、その悲惨な状況下で「お前にできること。それは写真を撮って、外の世界に伝えることだ」と言われ、自分自身が変わったとあります。撮影することの本質・軸が掴めたのではないでしょうか。

「政府軍への従軍取材、ゲリラが潜む山中にも出かけた。廃村に仕掛けられた爆発物で一緒にいたカメラマンが負傷したり、乗ろうとしたヘリが空中爆破されたこともある。しかし、戦場の危険よりも、私の心に残ったのは、市場で野菜や新聞を売って働く子どもたち。戸口で佇む私を中に入れ、写真を撮らせてくれた貧民街の一家や難民キャンプの人々の姿だった。

 5ヶ月の滞在で手元に残った撮影済みのフィルムは300本。これには出会った人々の思いと姿が写し込まれている。どんなことがあっても持ち帰り、そこにある姿を確実に伝えたいー。その強い気持ちが私のフォトジャーナリズムの原点となった。」(「内戦下に生きる人々ーエルサルバドル」より)

そして当日、私が一番見たかったのは『アフガン戦士マスード』です。80年代ソ連のアフガン侵攻下にて「比類ない知略を発揮し、ソ連軍の大攻勢を何度も退けてきた司令官」=アハマッド・シャー・マスード。

 

その若い「対ソ戦の英雄」マスードその人を、もっと人間に迫ったドキュメンタリーとして撮ろうと83年3月、長倉は日本を発ちました。世界から多くのジャーナリストが訪れても生活を共にすることはなかった中、長倉はマスードの“信頼”を得、友として関わり、延べ600日ほどにのぼる歳月を共に過ごしました。

長倉のレンズを通して見ることのできるのは、彼がマスードを敬服し、その人間性に感銘しつつ、対ソ戦の英雄としてだけではなく、むしろ一人の人としての姿を観察し続け愛情を持って撮りつづけた一枚一枚です。マスードの優しさや読書好きなこと、イスラム教の敬虔な信徒であり、平和のうちに共生することを心から願っていたことなどを伝えています。残念ながらアフガ二スタンには願ったような平和が訪れぬまま、マスードは49歳という若さで自爆テロによって殺害されてしまいます。平和には教育が一番大切だと言い実行していたマスード。その友の遺志を継ぎ、長倉は『山の學校の會』というアフガニスタン山の学校支援の会に代表として今も関わり続けています。